ここまでの話をさらっと確認するとこんな感じ。
1日目:理屈にとらわれず、好きな作品を思い浮かべてストーリーを描いてみよう。
2日目:作品はキャラクターが命。好きなキャラクターを主人公にしよう。
3日目:プロットをつくると、面白く、退屈させない展開が見えてくる
4日目:取材すると作品にリアリティが増して、作品が安定する
正直、4日目までの内容を把握していれば、ストーリー創作に挑戦できるし、ある程度なら脚本や小説が書ける。
しかし、本書は脚本や小説を書き始める前の工程として、ハコ書き(構成表)の作成を推奨している。
「なんでそんな面倒くさいもんをわざわざつくらなアカンねん」
私もそう思う。プロットまで作ったのに、なぜ今更ハコ書きがいるのかと。
ここではハコ書きする理由を含め、ハコ書きの書き方やメリット、適切な練習の仕方をお伝えしていく。
ハコ書きができれば、怖いものなし
まず、ハコ書きとはストーリーを章・シークエンス・シーンの”ハコ”毎に分けた、いわゆる「構成表」のこと。
章ごとに分けたものを「大バコ」、それを6つのシークエンス(いくつかのシーンをまとめた固まり)に分割したものを「中バコ」、中バコをさらに10このシーンに分けたものを「小バコ」と言う。これらを総称して「ハコ書き」と呼ぶ。
プロット(3日目参照)は読み物としての要素が強く、シーンの作り込みもあいまいなので、そのまま脚本に使うのは難しい。
一方、ハコ書きは、ストーリーを部品に分解する作業だ。プラモデルでいえば、腕や足、指など一つ一つのパーツがそろった状態。
要は、ハコ書きさえできてしまえば、あとは部品を組み上げるだけで、脚本や小説が完成するというわけ。
①「行き詰まり」を回避する道具
脚本や小説を書くときに「詰まる」一番の原因は、展開が見えなくなること。
「え? ストーリー書いてプロットに清書したんだから展開なんて分かるでしょ?」とあなたは思うかもしれない。
しかし、シーンを順繰りに書き込んでいく途中、「今書いているシーンの次のシーンが浮かばない」、「シークエンスの繋がりがうまくいかない」など、ところどころで不具合が生じることがある。
ハコ書きがあれば、シーンが細分化されているので、詰まる心配がない。仮にうまく繋がらなくても、いらないパーツを省いたり、順序を組み替えて使ったり、いくらでも工夫ができる。
そのため、状況が変わっても、シーンをテンポよく書き進められる。いわば転ばぬ先の杖だ。
②理論や法則は信じるべからず
ハウツー本や専門書で脚本理論を学んでいると、構成はこうすべしとった理論や法則が出てくる。
しかし、著者は「その類のたわごとは一切無視して脚本を書いている」と豪語する。
「そうしたハウツー本の論拠となっているのは、『過去の優れた作品を分析してみたら、どれも同じような構造になっていた』ということであるらしい。だが、それはあくまで”結果論”にすぎない」
「優れた作品を書くための法則があるなら、その考え方を主張している人自身がそのパターンを使って傑作を次々世に送り出しているはずである」
1日目でもあった通り、理論や法則をシナリオに持ち込むのはナンセンス。ハコ書きで構成を考えるのも、自分なりに考えて実践すればいい。
とは言っても、私のようなトーシローは不安しかない。ハコ書き未経験の場合、どうすればよいのか。
③”身体”で覚える
本書でオススメされていたハコ書き練習法は、好きな映画やドラマの中から構成がうまいと思ったものをピックアップし、自分の手で大バコ・中バコ・小バコに起こしてみること。
これをすると、話の流れ・展開・シーンのつなぎ方がつかめ、伏線の置き方、メインの人物の場面ごとのウェイトの置き方なんかも学べるんだとか。
自分で考えて実践すれば、自分なりの気付きが得られる。それを繰り返すことで、身体がハコ書きに慣れていく。
技術は他の人から教わっても頭に残らない。
職人の技術伝承と同じく、見よう見まねで自分で考えながら磨いていくしか方法は無いのだ。
まとめ:「急がば回れ」が生産性を上げる
ハコ書きは大変そうで、どうしてもハードルが高いと感じてしまう。
しかし、料理の下ごしらえと同じように、面倒だけどやったら絶対にいいと分かっていることは世の中にはたくさんある。
一度で全部できなくてもいいから、一日一日、少しずつやる。地道な積み重ねが、愛着と自信をもたらす。
この考えはハコ書きにかぎらず、いろんなことにも通じる。別にハコ書きをしないと言う人も、学んで損はないだろう。
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