社会人になって10年。残念ながら未だ何かを成し遂げた実感がない。
塾講師、営業、ライター。いろんな仕事をしてきたけれど、どれも「これだ!」という感じがなかった。
昔から、何かを極めたいと思っていたけど、結局何一つ、モノにはできていない。
音楽や絵の才能があるわけでも、専門的な知識があるわけでもない。
しかし、このまま一生、何もないのは、どうしても、いや、絶対にゴメンだ。
どうすれば、この状況を抜け出せるのか。何を考え、どんな行動をすればいいのか。
なにが正解なのかは分からない。ひょっとしたら、こうしてブログを書いていることすら、間違っているかもしれない。
でも、そうやって考えて立ち止まっているだけでは何も得られない。
言い訳を続けて自分を守り続けること。それは結局、自分の為にならず、むしろ毒となって人生を蝕んでいく。
この記事は、その言い訳と縁を切るきっかけにしようと思っている。
刮目せよ、これが独身32歳、何者にもなれなかった男の末路だ。
自分が変えられない本当の理由
こんな私にも、人並み程度の願いはある。
ブログの知識を増やし、もっと記事を書いて、収入をとれるようになりたい。
安定した収入を取れるようになったら、海が見える場所に住んで仕事がしたい。
もっと映画や小説、漫画、アニメを見て、胸を打つ作品を知りたい。
自分が満足できるような物語をつくりたい。
どれも、努力すればある程度は叶う。
でも、この10年間、願いが成就する気配はなかった。
たしかに、ある程度は行動している。ブログは始めたし、休日には映画やアニメ、本を読んでいる。心に残ったことをメモして、自分が何に胸を動かされるのかを確かめている。
しかし、どれも中途半端というか、できる範囲でしか行動していないというか。人生を賭けるというほどの迫力がない。だから、いつまで経っても諦めきれず、不完全燃焼な気持ちを引きずっている。
どうせやるなら本気でやりたい。没頭したい。
でも、何をやってもモノにできなかった自分には、成就できるとは信じられず、「時間の無駄ではないか」、「向いてないのではないか」、「本当にこれでいいのだろうか」という不安や迷いが捨てきれないのである。
自分はどうして10年もの間、アクセルを踏みつつ全力でサイドブレーキを弾いているのか。
現状維持から抜け出せない理由、もとい、言い訳が3つほど思い浮かんだ。
① 変化が怖いから
1つめの理由は、変化が怖いから。
スヌーピーのキャラで、汚いタオルを後生大事に持っている少年がいる。思い浮かべてほしい。
彼はどんなにタオルが汚なかろうと、顔にスリスリしている。まるでお腹の中の赤子のように安らかだ。
しかし、傍から見れば汚いし臭い。見かねた友人が善意で洗濯してあげようとタオルをひったくる。
するとどうだろう、彼は不安になって泣き出してしまうではないか。
誰だって、当たり前だったものが急になくなれば不安になる。
現状維持に甘んじてしまうのは、その不安を先取りし、回避しようと願ってのことだ。
挑戦への畏れは世の常であり人の性。
本気で夢を追いたいのであれば、ある程度生活に妥協は必要だし、自分の時間が取れるよう仕事を変えるべき。
それは分かっている。しかし、分かっていながら、実行できずにいるのだ。
私は今の会社に6年勤続している。転職したいなと何度も思ってきたけど、収入を失って状態が悪化したり、借金したりするのが怖くて身動きできずにいる。そのことが、自分を望みから遠ざけ、生殺しのようにしていると知りながら。
現状を変えたいのになかなか動けない。このとき、「お金があったら」、「自信や勇気があれば」など、”今の自分にないもの”があれば動けると考えてしまう。けど、それは不安をある程度和らげるだけで、本質的な解決にはならない。根本的な不安が消えることがないからだ。
自分が願いを成し遂げるまで、不安は常に付きまとう。今日も明日も明後日も、やることは山積みで、常に頭を抱えるだろう。
しかし、マリオとかいうヒゲのおっさんだって、安定した足場からジャンプして、狭くて脆いブロックに飛び乗る。そうしなければ、永遠にゴールにたどり着かないし、愛するピーチ姫を救えないのだ。
変化が怖いのは当たり前だ。むしろ、不安で足が震えることの何が悪い。
一番怖いのは、自分の夢が叶わないこと。そうだろ?マリオよ。
② 無理しようとするから
挫折の2つめの理由は、無理をしようとするから。
誰でも結果は早く出したいもの。焦るつもりはなくても、多少強引な計画を立ててしまうのはよくある。でも、そうした”やる気に満ちたスケジュールほど、うまくいかずに終わってしまう。挙げ句、「自分はこんなにもダメな人間なのか」と自信を失う始末。もちろん、私もしょっちゅうやる。
先ほど「不安を抱えても挑戦はすべきだ」と言った手前、矛盾しているのではと思うかもしれない。
その通り。矛盾している。しかし、それは「現状を変える」という1点についての話。
無理をするのは、自分の人生の舵を切る、その一瞬だけでいいと私は思っている。
どう考えても、無理はよくない。
例えば、マラソンは自分のペースや限界を考慮し、”できる範囲”のなかで、ベストを尽くすスポーツだ。
無理すればペースが乱れ、完走ができなくなる。この限界スレスレの駆け引きがこの競技の醍醐味と言えるが、限界を超えるような無理をするのが目的ではない。
「そうは言っても、箱根駅伝の選手は命懸けじゃないか?」と思うかもしれない。そのとおり、たしかに彼らは限界を超えている。
襷を仲間につないだ瞬間、糸が切れたように倒れ込む。そんな姿を見て、怠惰な自分が恨めしいとも感じる。
「自分も倒れるくらい全力で頑張らないと……!」と思うかもしれない。しかし、よく考えてほしい。
彼らが全力を出せるのは、それがたった一度の晴れ舞台だからだ。毎日あんなに命懸けでやって、それが5年、10年と続くだろうか。
断言できる、絶対に続かないと。彼らの勇姿はたしかに美しい。しかし、それを美学にしてはいけないのだ。
完走したければ、自分の力量、体調、ペース配分などを考え、極力無茶をしないようにする。
常に余力を残し、体を崩さず、日々パフォーマンスを発揮できるようするよう心がけなければならない。
努力と聞いて「モンエナ飲んでがんばること」が浮かんだなら、危ない自覚を持つべきだろう。
限界を超え続ければ必ずガタがくるし、何より続かない。
それよりも、作業期間にバッファをとったり、一日でできないなら諦めて数日に分散したりなど、限界を超えないように工夫すべきだ。
「今を生きろ」、「命を賭けろ」。これは”無理をしなさい”ということではない。
冷静に考え、今一番求められていることを成せ、という意味だ。
人間、急にできるようにならないし、ましてや、失敗した結果が覆ることもない。
それなのに、「結果が出せないのはおかしい」とムキになり、無茶をしてしまうのはいかがなものだろう。あまりにもったいない。
失敗を認めて反省し、作戦を立て、次の行動を変える。それがダメならまた考える。
この地味で淡々とした作業の繰り返しが、自分を次のステージに導いてくれるはず。
③ やらなくてもいいことだから
3つめの理由は、”やらなくてもいいこと”だから。
仕事は義務だからイヤでも出勤しないといけない。反対に、自分の趣味は誰かに言われなくても勝手にやる。
仕事と趣味。このふたつは自分にとって必要なこと、”やるべきこと”だ。
一方、新しく始めることはこれらとは違う。
というのも、必要ならすでに始めているわけだし、やりたいことなら寝る間も惜しんでやっていたはず。
これまでやってこなかった。この事実だけをとって言えば、それは自分にとって”必要ないこと”に他ならない。
そんなことを日常に取り入れようとするわけだから、冷静に考えてもハードルが高い。
新しいことを始めるには、それがいかに自分にとって必要で、やりたいことだと思えるようにするかが重要となる。
そのためには、自分のやりたいことや望みをきちんと言語化したうえで、「〇〇だから必要」、「〇〇だからやりたい」と納得できる理由を考えるなければならない。
経験上、理由にちょっとでもウソがあると、「別にやる必要ないし」と放り投げちゃうし、「本当にやりたいことは他にあるはず」と突然自分探しモードに突入してしまう。心は赤ん坊のように正直で、好き嫌いがはっきりしている。だから「こんな理由でいいだろう」という”甘え”が一切通用しない。
心にそっぽをむかれないよう、きちんと納得いくまで考え、楽しめるイメージをもちつづける。
成功者の本なんかで「毎日ワクワクしている」という意見が多いが、それは彼らが悟空のような戦闘民族というわけではなく、そうしないと自分が挫折してしまうということを知っているからなのだろう。
そんなことを言う成功者のことをバカだとずっと思ってきたが、今考えると俺の方がバカだったというわけだ。
人を見くびるのは人から学んでいない証拠。あたしってほんとバカ。
10年の堂々巡りの末に
この10年、自分が望むような結果は1つも出せなかった。考えてみれば当たり前のことだ。
会社を辞めたい。でも、転職したら財政状況が辛くなるからできない。
結果を出したい。でも、焦って無茶なスケジュールを立てしまい、結局いつも長続きしない。
小説を書きたい。でも、別にやらなくてもいいことだから、いつの間にか書くのをやめてしまう。
戦える環境をつくらず、結果を求めすぎるあまり焦り、挙げ句、やるべき理由は見失ったまま。
そんな状況なのに、願いが叶えられるという考え方の方が狂っている。
だってそうだろう? 無理を通そうとしても、無理なものは無理なのだから。
そしてそれ以上に、心が拒否っているのだから。楽しめずして、無理して続くわけがない。
結果が出なかったことを攻めても何も生まれない。むしろこんだけ結果が出てこなかったのに、性懲りもなく諦めなかった自分を褒めてやりたい気分すらある。
とは言え、挫折を続け、現状維持に甘んじてしまえば、自分の望みは一生手に入らない。
もはや八方塞がりな状況だが、これから先、まず何から手をつけたら良いのだろうか。
すぐにできて、ハードルが低く、モチベーションがあがる。
そんないいとこ取りの方法なんてあるのだろうか。いろいろ考えて、ふとある本のことを思い出した。
昨年仕事でレビューした『ぜんぶすてれば』(中野 善壽/ディスカヴァートゥエンティワン)である。
(どんなレビューか興味がある人はこちら)
今なすべきことは”すてること”。私はそう考えた。
前にすすむために必要なのは、”捨てること”
行動や思考の妨げになるモノ・コトを排除する。
無駄な人付き合いやSNSでの無駄なやりとりを減らす。
そして、新しく始める代わりに、何かをやめる。諦める。
高い山に登ろうとするとき、本当に必要なものだけ選び、身軽な状態にならなければいけない。
余計な荷物は体力を奪うだけで、役に立たないどころか、命取りになるから。
天候が悪化しそうならビバークし、回復を待つ。そして体調を常に気遣い、余裕を持って登っていく。
気が遠くなるような時間を重ね、地道に一歩ずつ進むことで、ようやく山を登ることができる。
捨てることは悪いことじゃない。むしろその逆で、自分にとって本当に大切なものを再確認するためには捨てるしか方法がないとすら言える。
疑わしいと思う人は、試しに本当に必要なものをリストアップし、それ以外のものには触れないという時間をつくってみてほしい。必要だと思っていたものが実はなくても大丈夫だったり、やらなければと思っていたことが案外やらなくても平気だったりと、いつもとは違う何かが見えてくる。
望んだ結果は、地道な積み重ねからしか生まれない
不要なモノ・コトを捨て、必要なものに向き合えるなれば、自ずと行動に集中できるようになる。あとは、自分がつまづかないように、ハードルを下げたり、タスクを細切れにして行動しやすくしたり、障害に応じて工夫を施していけばいい。
会社の中に、気分や感情に流されずに仕事を淡々とこなす人がたまにいる。
こういう人は遅かれ早かれ、例外なく結果を出すことができる。
なぜか。単純な話、他の誰よりも仕事をしているからだ。人が苦手なこと、難しいこと、面倒くさいこと、つい後回しにしがちなこと。そういったことをちゅうちょせずにやり続ければ、周囲との間に努力の差が生まれていく。
一つ一つの差は小さいが、それがチリツモとなれば、1年後・3年後・10年後、大きな結果となって現れる。一度結果が生まれたあとは不思議なもので、次々と結果が続くもの。特別なことをしなくても、結果が結果を呼ぶ、正のスパイラルが働いてくれる。
ここで一つ言えるのは、成果を出した人も、最初は必ずゼロからスタートしているということ。毎日地道に経験を積み重ねた結果、当時は想像もしていなかった場所にたどり着くというわけだ。
YouTubeやInstagramなどのSNSで、金持ちを見かける機会が増えた。私は彼らの表面的なところだけを見て「ちょっと努力すれば簡単に儲けられる」と思った。
しかし、それは間違いだった。彼らは努力している姿をめったに表に出さない。出さないだけで、人の何倍も努力しているのだ。目に見えることだけが全てじゃない。むしろ、目には見えないことを見ようとしなければ、本質にたどり着けないのだろう。
弱者であろうと、強者たれ
成功してないやつが考えるだけ無駄だとか、敗北者の意見なんて参考にならないと人は思うかもしれない。それは正しい。正しいけど、半分間違っている。
たしかに、現に成功できていないのだから、弱者の”今”を真似しても何の意味もない。
しかし、弱者には負の実績がある。負けた悔しさがある。それを土台に反省し、行動を起こせば、その分だけ失敗を減らし、前に進むことができる。失敗が減れば、自ずと勝ちが増える。そうなれば、物事が上手く回るようになり、自然と成果が出るようになる。
弱者を笑い、強者を羨む者は成長しない。弱者を笑うのは今の自分を肯定するためであり、強者を羨むのは「あいつみたいな才能がないから」と諦めるためだ。現状維持に回り、守りに入ってはいけない。
現状がどうであれ、心向きは常に強者であるべき。強者は人を笑うことなく、吸収できることがあれば素直に取り入れ、自分を高めようとする。他人は眼中にない。比較対象にあるのは、常に過去の自分ただ1人。それで十分だ。
今がどん底でもいい。そんな自分が一歩ずつ前進し、最終的に成功をつかめたのなら、それ以上に人生楽しいことはない。人に笑われようと、バカにされようと、ブログPVがゼロであろうと。そんなことは関係ない。昨日の自分よりも成長することに、全力を尽くす。そんな人生を、俺は肯定し続けよう。
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